オオクニヌシとオオモノヌシ。


「つー様は女神ですから〜。」


散々勝手に書き殴ってきたが、そもそも古事記日本書紀は日本最古の公文書である。

勿論日本書紀は政治色や宗教色が強く描かれている訳だが、これだけ権威ある書物である。
もっともっと研究が進んでも良いのでわないであろうか?

表題にあるとおり、オオクニヌシが国作りをするさいに登場するオオモノヌシなんかは諸説が
多すぎるくらいだ。
自分は仕事〜興味本位で調べただけでも、オオクニヌシの御魂=オオモノヌシ説(宗教的に)や
オオモノヌシという役職の3代目をついだのがオオクニヌシだったり、クシミカという名を使っている
事からオオモノヌシ=オオクニヌシ(スサノヲの正妻のクシイナダ姫からきている)とかとにもかくにも
沢山ありすぎる。
さらにクシはヘビを表すらしく節がわかれている事からヤマタノヲロチが関係したり(実際三輪神社は白ヘビを
奉っている。)ともうやりたい放題なのだ〜。
まあそもそもオオクニヌシ自体が宝船のだいこく様のモデルとわ言われているものの、宗教上違っていたり、
オオナムチ=オオクニヌシも諸説あってもう何がなんだか解らない。

少なくても出雲の人にとってはキリスト教ジーザスのようにオオクニヌシを奉っているのは確かなようだ。

私は今回仕事の都合上、宮崎、奈良、そして当然出雲の伝承の地や神社を数々周り取材してきたが、とにもかくにもあいまいなんである。
古代の歴史の真相はどうあれ、ロマンは少なからずも感じてしまったが、いまいちすっきりしない。

歴史上の神様が大陸からの亡命者なのか?はたまた常識を超越した世界の住人なのかわ解らない。
しかし、そういう事を想像し、様々な世界を思い描く事が重要であり、正解なんか無いのではないか?

もしフィクションとして教育学上正解をだすのなら、「仮定」でしかないが一つのモデルをつくるべきである。
陰陽師」なんぞで、中井貴一が演じた出雲の王(限りなくイザナキ)やアマテラス、スサ、ツクヨミ・・・。

古事記の原文を面白く演出した部分では十分に楽しめ、歴史学のとっかかりになるのでわないか?

オイラ達映像屋はそういう部分を仕事にしているのだ。
決して事実を曲げたり、結果を求めて制作をしていないのだ。


つー様、でもおいらめげずに頑張りますっから〜。